8月9日。平和について考えよう
こんにちは、こんばんは、おはようございます。
みなさん昨日8月9日が何の日か何の日か知ってますか?
花火大会の日でなければ
僕の24歳の誕生日でもありません。
71年前、長崎に原爆が落とされ7万人以上もの人が殺され、そしてたくさんの人の心身に深い爪痕を残した、悲しい歴史の日なのです。
僕が大学生の頃の話です。
長崎の高校から京都の大学へ進学したのですが、僕は被爆地とそうではないところとの原爆に関する意識の違いに違和感を感じました。
長崎にいた頃は、毎年8月9日はほとんどの学校では夏休みなのですが、この日は登校日となり全ての生徒が集まります。全校生徒が集まり被爆者の話しを聞き、11時2分に黙祷し世界平和と被害者の方々への祈りを捧げます。
そして、毎年、被爆者の焼け死んだ写真や深い傷を負った写真などを見なければなりません。
テレビ中継は全て平和祈念式典。
長崎県民にとって忘れられない日なのです。
しかし、京都ではそうではありません。
平和集会のようなものはなく、11時2分のサイレンもなく、
みんないつもと変わらない夏休みを楽しんでいました。
一回生の頃、僕は大学の寮に住んでいたのですが、8月9日に女子寮と合同で研修合宿が開催されました。
正直合宿の内容は全く覚えていませんが、唯一覚えているのが、原爆に関する話題が一回もなかったこと、そして誰も黙祷をする人がいなかったことです。
前述のように原爆に関する教育も習慣も浸透していないので、しょうがないことなのかもしれませんが
当時の僕はかなりの違和感を感じました。
今これを読んでいる方に伝えたいことは、
決して原爆の日というものが長崎県・広島県の人たちだけのものではないということ。
今こうして再び戦争に巻き込まれず平和に暮らせるのは、原爆の悲惨さを訴えてきた被爆者、そして世界平和を訴えてきた人たちのおかげだと思います。
今はテロなど混沌とした世界だからこそ、せめてこの日だけはみんなで平和について考え、祈りを捧げて欲しいです。