シェアハウス移動しました!
シェアハウス移動完了!!(2日前)
かなりで家でかい。
というのももともとホテルとして使ってた建物を家にしてるらしい。
わりと無理やり感あるけど、まあ一応ホームステイということで。
1人部屋やしゆったり〜
そしてなんとご飯付き!
バイトの日は帰ってくるの24時すぎることが多いけど
そんな時でもラップして置いといてくれるってのはほんとありがたい。
いままでピザとマクドで温かい食事ではあったんやけど、栄養と愛情のがまるでない。
やし、今んとこ非常に満足しております!!
そしてシェアメイトも、フランス1人、メキシコ1人、韓国1人、マレーシア1人、アラブ1人、ニュージーランド1人、台湾1人
プラスホストファミリー3人の計11人で暮してる。
いい感じに混ざっててこれまた楽しい。
ドバイのやつは、政府関係者でなぜか国際法のマスターをオーストラリアに取りに来てて
政府から金もらって遊びまくってたり、
フランス人はレユニオン島とかいう、フランス領なんやけど、もはやアフリカの方が近いっていうなかなかおもしろい島出身やったり
なかなかおもしろいやつらが集まってる。
これね、なんか起きそう。
初めて聞いた。めっちゃ聞き直したし、地理的に分かっても、なんでフランスなんかわからんかった。
というかフランスが遠く離れたとこに島持ってるなんて知らんかったし、話し聞くだけでめっちゃおもろい。
彼は来月には一旦帰国するらしいんやけど、いつかレユニオン島行ってみたい!
(アクセス悪すぎやし航空券バカ高いけど)
シェアハウスというよりはホームステイやね。
シェアメイトはマレーシア1人、韓国人1人、フランス人1人、ニュージーランド人1人、アラブ人1人、メキシコ人1人
仕事?
今日は2日ぶりのバイトでした!
ランチから9時間くらい働いたんやけど、今日はお客様かなり少なくて暇やった。
やし、カフェラテの練習とワインの本読んで教養を深めてたわけやけど、
そもそもワインあんまり好きじゃないから全然入ってこん(笑)
香りの違いとか言われてもあんまりなんよね〜。
すごい奥深くいんやろうけど、まだまだ難しいです。
とこんな感じで今日のバイト終わったんやけど、
明日ついに、シェアハウスに移動!!
やっとバッパー生活から抜け出せる。
やっと晩飯ハンバーガーピザ生活から抜け出せる(笑)
バッパー生活もそれなりに楽しかったけど、やそろそろ自分の時間欲しかったし
荷物取られんか心配せんでいいし
なにより静かな生活を送れる(笑)
さあ、明日どんな新しい出会いがあるか楽しみですな!
徒然なるままに。
えー、今日から日記的な感じで少しづつでもいいから、何かしら書いていこうと思う。
今までは誰かに読んでもらうためのみたいな感じのブログだったのを、もうちょっと日記っぽく、つまりもう少し適当に。
思ったこと、感じたこと、考えたこと、びっくりしたこと、興奮したこと、その時々の感情をしっかり残すことで
もっとリアルにその時の感情や考えを思い出せる気がする。
というのも先日FIAからブライアンともちひでさんがわざわざ会いに来てくれて、ブライアンとは美味しいベトナム料理、もちひでさんとは新鮮な海鮮料理を食べながらいろんな話しをした。
その中で、考えることも大事だけど、それをどこかに残しておかないと忘れちゃうよね〜という話しになったので、今こうして、自分の考えと感情を残すためにつらつら書いている。
さて、二人と話した後に真っ先に考えたこと、それは
自分が何をしたいのか。
お金を稼いでそれをどう使うのか。
だった。
ブライアンと話しをする中で、彼に言われて気づいたけど、このオーストラリアテキトーに生きてるな、と。
それは何も考えず、自分のやりたいことだけをやっているのとは少しちがう。
オーストラリアに来る前に思い描いてた、自分がやりたいことに固執するのではなく、その時どきに出会った人たちに影響を受けて、行動してきた。
例えば、ファームからゴールドコーストの移動はファームで出会った韓国人に誘われて。ゴールドコーストからシドニーはたまたま出会ったヒッピー軍団に誘われて。
こんな感じで、自分が行きたいから行くというよりは、出会った人との繫りでシドニーまで辿りついてる。
なんか面白くなりそう、というのを
感じて
そして彼らと過ごしたらどんな楽しいことが待ってるか
想像して
そして実際に
行動してきてる。
今までの自分の生き方とは全くちがうけど
せっかくの自由な1年間、何なら自由に生きたい。
それが何となく出来てる気がする。
そしてこんな感じのテキトーな生き方も楽しい。
これから自分がやりたいこと。
テキトーに生きる。
偶然誰かに出会って、仲良くなって、どっかに行く。
どこに行くのか、何をするのか
全くわからないがそれもfeelingで決めていくとしよう。
最近は、チリ人とすごい仲良くなってチリに対して猛烈な興味が湧いてきたところなので、
チリに行くのも楽しそうやな〜って気がする。
そして二つ目、お金を何に使うか。
今は全くお金がないので2週間ほどはあまり貯めていけないかもしれない。
まあでも1月までには3000ドルくらいためれてるはず。
そうなった時にどう使うか。
誰かの役に立てるような使い方をしたい。(結局回り回って自分のためでもあるけど)
かなり抽象的だけど。
お金を貯めて、自分がやりたいことをするのは普通すぎる。
自分のやりたいこと+誰かのためになること
この二つが同時にできる何かをしたい。
そしてこれを自分が持ってるコネクションの中で見つけていきたい。
ボランティアグループに参加して誰かのために働くのは簡単なこと。
お金を払うだけ。
そうじゃなくて、もっと自分を必要としてくれる人がいて、なおかつ自分も楽しめそうなことを探していく。
極端な話、航空券も出すし、ホームステイもさせてあげるから、来てくれ!!!!!!!みたいな。
まあ難しいやろうけど。
とにかく、誰かと繋がって、そのコネでどっか行って、誰かのためになんかして、それをとにかく楽しめるようなこと
これを探し求めていこう思う。
さあどうなる。
どうなるにしても、楽しいことやっていこう。
仕事。
こんにちは、こんばんは、おはようございます!
前回の記事からもう2週間経ってるんですね…
2週間ほどさぼっちゃいましたが、その分ネタがたまってきました!
ってことで今回はシドニーでの仕事について書きたいと思います。
現在、フレンチレストランとアジア料理店で掛け持ちをしております。
どちらもウェイターです。
約3週間ほど経過したわけなんですが、アジア料理店を来週いっぱいで辞めることにしました。
決して、スタッフから嫌がらせを受けてるとか、時給が低いわけでもありません。
問題は日本人スタッフが増えてきたことにあります。
僕が入った当初のホールスタッフは、日本1名、ほぼ日本人1名(日本語しゃべれる韓国人)、韓国2名、香港2名、タイ1名、とまあアジア各国のバランスがとれた感じだったんですが、
この前2人やめて、新しく入った4人の方は全員日本人ということで
日本語環境になりつつあります。
これは、僕的にはアウトな状況なわけです。
バイト始めてからいろんなこと教わってすぐやめちゃうのは申し訳ないですが、
限られた時間の中でやりたいことをやりたいようにやっていきたいので
来週いっぱいで辞めることにしました。
ですので再来週からはフレンチ1本に絞っていきます。
そしてフレンチでの仕事なんですが、
ドリンクサービスをマネージャーがすごい褒めてくれて、それからというものバーの仕事を任されるようになってしまいました。
正直、カクテルとかワインの知識が全くないので、めちゃめちゃ難しいですが、少しずつ成長してる感じです。
こっちの職場はファインダイニングなのできっちりした接客をしないといけませんが、スタッフ間の雰囲気はかなり良くて働きやすいです。
出勤まであと3時間。シェアハウス本気で探してきます!
マンリーへ。リベンジの時。
こんにちは、こんばんは、おはようございます!
昨日、日曜日の公共機関1日2.5ドルで公共交通機関乗り放題!ということで、マンリーへ行ってきました!
シティからマンリーへはフェリーを使って30分程度で行けます!
そして、この日は日曜日。さらには天気も非常に良かったのでターミナルはかなりごった返してました。
こんな感じ。
2枚くらいこんな感じの写真撮ったんですが、両方とも金髪サングラスのおばはんカメラ目線してました(笑)
いらんって。(笑)
ちなみにこの写真の位置は先頭集団がいる位置で、最後尾はここから50mほど後ろくらいでした。
そんなこんなでフェリーに乗りこみ出発!
シティからは見れないオペラハウスのお尻。
個人的には前とか横から見るよりこっちの方が好み。
続いてこちら
ハーバーブリッジとオペラハウス!
なんかシドニー!って感じの景色ですよね!!!
ここまで撮って船酔いのためベンチにダウン。
(笑)
そして30分後!ついにマンリーの港に到着!!
(すいません、写真載せたいんですがWiFiの関係で全部は載せれないので、節約気味に行きます)
そしてターミナル内に店舗を構えるマクドナルドへ!!!
え、なんでマンリーまでせっかく来てマクドなんや!!!
っという声が聞こえてきそうですが、
実はこれこそが今回マンリーに来た最大の目的だったのです!
7年前の高校1年生の時のことです。
僕が通っていた高校では、冬休みを利用してオーストラリアでホームステイを経験できる研修プログラムがありました。
それまで、海外に行ったことがなかったので「これから英語を学ぶにあって良い経験になる」と思い参加することにしました。
当時は英検準2級?を持っていて、多少英語には自信があり、初海外を前に緊張や不安というよりも、興奮の方が勝っていました。
しかし、オーストラリアに来て早々、完全に自信を失う出来事がありました。
そう、それがマクドナルドだったわけです。
注文するにしても、英語が伝わらない。
聞かれても理解できない。
やけくそで「Yes!」と連発するも、的外れ。
しまいには自分が食べてるバーガーすら何なのかわかっていませんでした。
悔しい。たかがメニューの中から選んでそれを注文するだけなのに、それすらできない。
非常に悔しい思いをしました。
そして昨日、その雪辱を果たしに行ってきたわけです!リベンジの時。
7年越しです。
あのマクドのサインを見た瞬間、一気にあの時の気持ちが蘇ってきました。
くそ、お前(マクド)のせいでわしは英語を喋ることすら恐怖になったんじゃ、ボケ、こらあ。(完全に自分のせいw)
マクドからしたら完全なとばっちりですが、関係ありません。
ふつふつと湧き上がるあの時の感情と、リベンジへの興奮、そして怒り(笑)を抑え、
カウンターへ向かいました。
注文したのは
タブルクォータパウンダー(ピクルス抜き単品)
ポテトS(単品)
水(氷抜き)
ただ単にセットメニューを頼むのは面白さに欠けます。
ということで全て単品、そして氷抜きのお冷という微妙にうざい注文をしてきました。
本当のことを言うと、ピクルス好きやし、水なんかよりコーラを飲みたかったんですが、
この際関係ないわけです。
そして無事に!
頼んだ商品を全て受け取ることに成功しました!!!!
ドヤ顔wwwwwwwwww
こうして僕の7年越しのレベンジは無事に成功しました。
p.s. 本当は、このマクドがまだあるかなあ〜とか内心結構ドキドキでした。そしてマクドのおかげで英語に対するモチベーションが上がったのも事実です。ありがとうございました。
微妙な金銭感覚。
こんにちは、こんばんは、おはようございます。
今回は自分が考えてることを羅列していくので読みにくいかも!!
早いものでシドニーに来て約1週間が経過しました!
まずはこの1週間の報告から!
5日ー到着、散策するつもりが翌日朝まで20時間ほど爆睡。
6日、7日ーバッパーにて飲みつぶれる
8日ーRSAの取得
9〜11日ー就職活動(レジュメ配り&ネットでレジュメ送りまくる)
12日ーTGIFのためパブへ
こんな感じでした!
自分でもびっくりなのが、たった3日で仕事が見つかったこと。(正確にはトライアルまでありつけたこと)
GCにいた頃なんて、2週間配り回って返事きたの1件だけ。しかもやりたいウェイターの仕事ではなく、キッチンハンド。
でも、シドニーに来て1日目の段階で面接をしてくれたところもあった。
やっぱりオーストラリア第一位の都市だけあるなあという感じです!
時期的にもオーストラリアは9月頃から暖かくなると言われているので、観光シーズンが始まる少し前に、スタッフを補充しているということもありそうです。
しかーし、大都市シドニーなだけあって仕事を求めるバックパッカーや現地の大学生などの数は半端ないわけです。
英語ペラペラなんてザラです。
GCから引き続きローカルのレストランやパブを狙っていきましたが、なかなかヒットせず。
もちろん自分の英語力はネイティブスピーカーと比べれば全然ですが、それなりに英語で会話もできるし、英語力はそんなに問題ないはず。
ただ、日本人にしては英語が喋れる、程度なんですね、
雇う側からしてみれば、英語なんて当たり前、だから経験やスキルで判断するそう。
つまり英語がある程度喋れるだけでは厳しい。
英語はもちろん、経験やスキルを持った人と競争していくわけです。
働き口は多いシドニーですが、競争率も高いのでやっぱりローカルは厳しいです。
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8月9日。平和について考えよう
こんにちは、こんばんは、おはようございます。
みなさん昨日8月9日が何の日か何の日か知ってますか?
花火大会の日でなければ
僕の24歳の誕生日でもありません。
71年前、長崎に原爆が落とされ7万人以上もの人が殺され、そしてたくさんの人の心身に深い爪痕を残した、悲しい歴史の日なのです。
僕が大学生の頃の話です。
長崎の高校から京都の大学へ進学したのですが、僕は被爆地とそうではないところとの原爆に関する意識の違いに違和感を感じました。
長崎にいた頃は、毎年8月9日はほとんどの学校では夏休みなのですが、この日は登校日となり全ての生徒が集まります。全校生徒が集まり被爆者の話しを聞き、11時2分に黙祷し世界平和と被害者の方々への祈りを捧げます。
そして、毎年、被爆者の焼け死んだ写真や深い傷を負った写真などを見なければなりません。
テレビ中継は全て平和祈念式典。
長崎県民にとって忘れられない日なのです。
しかし、京都ではそうではありません。
平和集会のようなものはなく、11時2分のサイレンもなく、
みんないつもと変わらない夏休みを楽しんでいました。
一回生の頃、僕は大学の寮に住んでいたのですが、8月9日に女子寮と合同で研修合宿が開催されました。
正直合宿の内容は全く覚えていませんが、唯一覚えているのが、原爆に関する話題が一回もなかったこと、そして誰も黙祷をする人がいなかったことです。
前述のように原爆に関する教育も習慣も浸透していないので、しょうがないことなのかもしれませんが
当時の僕はかなりの違和感を感じました。
今これを読んでいる方に伝えたいことは、
決して原爆の日というものが長崎県・広島県の人たちだけのものではないということ。
今こうして再び戦争に巻き込まれず平和に暮らせるのは、原爆の悲惨さを訴えてきた被爆者、そして世界平和を訴えてきた人たちのおかげだと思います。
今はテロなど混沌とした世界だからこそ、せめてこの日だけはみんなで平和について考え、祈りを捧げて欲しいです。